弓道の歴史と流派について
弓術が弓道と呼ばれるようになった歴史はまだ浅く、昭和に入ってからだといわれています。現在も様々な流派が存在し、弓術だった時代から教えを伝えています。
ここでは、弓道の歴史、流派について、簡単に説明します。
1.弓道の歴史
歴史の上で、弓という道具は、古代から様々な民族が発明し、遠い所にある獲物を獲るために使用されてきました。
ほとんどの弓が自分の身長よりも短く、アーチェリーの弓のように、上下で同じ長さでした。狩りの道具という意味では、その方が利点があります。
しかし、ご存知の通り、日本の弓は歴史的にも世界的にも類を見ない長大な弓です。
身長よりも長く、上が長く下が短いという形状は非常に特殊で、それは利便性や効率性よりも精神性や宗教性を重んじた結果だといわれています。このことは、魏志倭人伝や古事記などから推察されます。
やがて、中国の思想が入ることで、より精神性を強めたといいます。
日本の威徳の文化と、中国の礼の思想が混じり、平安時代では貴族の行事としての射礼に、また、武家時代では弓矢を通じた礼の思想になりました。そして、源頼朝の時代に、戦の道具となって、武士の戦闘訓練に使用されるようになりました。
この頃から室町時代に至るまで、弓術は技術革新を向かえます。小笠原流による弓馬術礼法の基準の確立、日置流による実践の射の普及もこの時代です。
鉄砲伝来で戦の道具としての弓は衰退しましたが、その一方で、心身の修業としての弓術技法は精巧になっていきます。江戸時代になると戦もなくなり、弓は道として研鑽されていきます。
昭和4年に弓術から弓道に名称が改められ、弓道はクラブ活動として盛んになりましたが、第二次世界大戦の終結後、一時禁止されました。しかし、昭和42年に、教育的な意義が認められ、学校体育として再び盛んになったのです。
このように、紆余曲折の歴史を経て、今の弓道に繋がっているのです。
2.流派
弓道には数多くの流派が存在しますが、その中でも主だった二流派について説明します。
発生年代が古い流派でまず挙げられるのが「小笠原流」です。小笠原流は現在最も盛んな流派の一つです。
小笠原流は小笠原長清が鎌倉時代に興した流派であり、伝統を受け継ぎながら代々の将軍に仕え、徳川の時代を経て今日にまで至っています。そういう背景からか、主に見た目の美しさや品位を重視し、礼儀作法の流派として知名度が高く、「礼は小笠原、射は日置(へき)」と呼ばれるほどです。
一方、的中や矢の貫通力などの実利的なものを重視した流派が、もう一つの代表的な流派である「日置流」です。
日置流は日置弾正政次が興したとされてはいますが、詳細な時期は明確ではありません。そもそも、日置弾正政次自体が謎の多い人物であり、神仏の化身と称される説、日置吉田流初代の吉田上野介重賢と同一人物とする説、架空の人物である説と、諸説あります。
どれが正しいにせよ、日置流は栄え、日本射術の礎となりました。そして、多くの流派が発生しました。
小笠原流にせよ日置流にせよ、現存し、いずれも未だに現代の弓道の根幹となっていることは、非常に興味深いですね。
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